縁起

住職プロフィール

妙性山正覺寺第二十六世住職
加藤 正道

昭和45年(1970)生まれ
平成4年  信行道場終了(日蓮宗教師資格取得)
平成6年   立正大学仏教学部宗学科卒業
平成20年 日蓮宗大荒行堂参行成満(日蓮宗修法師)

正覚寺縁起

當山は身延山久遠寺の末寺で、境内拝領地四百三十二坪余、元和四年(一六一八)徳川家康が亡くなって二年後、二代将軍秀忠の時に当時四谷伊賀町(現在の三栄町から若葉一丁目にかけて)に起立した日蓮宗寺院である。その後、寛永十一年甲戌外堀工事の際に現在の場所に転移したと言われている。開山は、蓮光院日耀上人、開基は小田原の浪人上野隼人、法名を正覺院日明といい、その妻の法名を妙性山日如という。妙性山正覺寺という山号寺号はこの二人から付いたものである。

本堂に勧請されている日蓮聖人・毘沙門天・鬼子母神の三体の仏像は、昭和六十三年四月に本堂・客殿・庫裏建替えの際、新に勧請された仏像であり、一本の楠から造られる「一木三体」という方法で作成された。また當山史跡には、大東京百観音の第十五番霊場として故雨宮治郎作の子護観世音菩薩を勧請し、檀信徒に信奉されていたが、戦時中に御像を供出させられてしまい、今では三十五代総理大臣の平沼騏一郎男爵直筆の石塔のみ現存している。
その他、葬儀斎場として四谷たちばな会館を開き、檀信徒だけでなく各宗派・既成宗教の方々にも使用できる会場とし、葬儀を通して當山と仏縁が結ばれることを願っている。

早池峰山神縁起

妙性山正覺寺第二十六世加藤正道(正敬院日慶)日々の勤行にて睡魔に襲われる霊障続き、諸々対処するも改善されること叶わず。深き霊障の所業なるかと、有縁岩手県花巻市東和町、本妙寺第八世砂子田裕貴師に相談す。本妙寺秘伝の寄り加持をもって原因を探る。守護神の助力を以て探ること半年、予期せぬ千年を超える古き土地の因縁現る。
いかなる修法をもっても、この因縁障解決すること叶わぬものなり。この障り日本国一国にかかわるものなれば、加藤正道、砂子田裕貴二名の心深くに沈め秘するものなり。
寺院移転も難しく、解決の道も無く途方に暮れかかった時、一善神姿を現す。その名を早池峰山神と号す。
早池峰山神曰く
我この時のため、本妙寺守護の大善神・山舘稲荷大明神の元で修行する者なり。
元は霊峰早池峰山守護の神なれども、時の流れ、霊地に人々踏み入るにより早池峰山より旅立つ。爾来数百年請われるがまま各地にて土地を守護す。五十年前加藤正道師生まれ、この地に纏わる霊障解決する使命を感知し、その手助けをせんと発願するものなり。
正道師霊障解決の時が来るまで五十年霊力を上げるべく修行する者なり。
平成三十年十二月十二日以後、永久にこの土地の霊障を防ぎ、手を合わせる者に福利を授けん。

早池峰山神御利益
敷地安穏・家内安全・除災得幸

妙性山正覺寺第二十六世
加藤正道(正敬院日慶)